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さくら湯再生「一口湯主運動」
山鹿の市街地中心部に位置した木造「さくら湯」は、今から約250年前の宝暦13年(1763年)の山鹿町絵図に、当時の細川藩の御前湯、御次湯、外湯、馬立として記録されていますが、市民温泉としての体裁が整い始めたのは明治3年(1871年)の大改装後のことであり、以来幾度かの増築・改装を経て、昭和48年(1973年)に、防火を目的とした大規模都市再開発事業によって取り壊されるまで約100年にわたって存在しました。
当時の山鹿では、内風呂のある家庭はまだ珍しく、さくら湯は単なる公衆浴場の役割を越え、老若男女を問わず山鹿市民の大切なコミュニケーションの場であり、山鹿の旦那衆(企業家達)には一日の仕事の前の清めの場として、子ども達には勉強・遊びの場などとして、市民から様々に愛されていた建物・空間でありました。また歴史的にも山鹿の元湯という山鹿温泉の原点であり、明治初期に細川藩から払い下げられた折り、旦那衆を初めとする市民温泉建設に尽力した先人達の高い志と、奉仕によって完成に至った経緯がありました。



